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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/636

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恒なるものの發現するを認むるものなりと。之れを要するに、フリースが哲學の此の方面はカントの所說にヤコービ風の思想を混和したるものと謂ひて可なり。即ち彼れが哲學の骨子は左の三思想より成れり。第一、吾人は直觀と悟性の槪念とによりて現象界の事柄を知識し第二、理性の觀念に從うて永恒なる眞實體に就きての信仰を有し第三、感官界に現はれたるものの眞實體なることを感情に於いて感想し得ること是れなり。フリースが哲學硏究を心理學に基ゐするものと見たる思想は後にベーネケに至りて大に開發せられて特殊なる流派を成すに至れり。フリース出でてカント哲學を改めむとしたるに先きだちて已に其が根本思想を開發し其が缺點を除去して一基本より生じ出でたる整然たる大組織たらしめむとしたる者あり、是れ即ちフィヒテなり。以上列擧したるカント哲學に多少の改良を施さむとしたる人々はフィヒテの大組織によりて其の光輝を奪はれたるが如き觀あき。盖しフィヒテはカントより出でてカント以外に一大見地を開き而して謂はゆる獨逸主心哲學の大潮流を捲き起こしたる者なり。