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第三に彼れは吾人の知識を批評的に硏究して先天的要素の存在することを發見すと云ひたるが、其の所謂批評的硏究其の物は吾人の知識上先天的のものなるか將た唯だ後天的のものなるか、換言すれば、吾人の知識に先天的要素の存在することを發見する道(即ち吾人の知識の成り立ちを知識する方法)其の物は果たして先天的のものなりや否や。カントが吾人に於いて時空の直觀形式及び十二範疇等の存在することを發見したるは經驗的方法を取れるものにはあらざるか。此の批評哲學硏究法の論是れ亦後に一の肝要なる問題となるべきものなり。右等の問題に關聯して新時代の思想の如何に開發せらるゝかは是れ吾人の後章に叙せむと欲する所なり。


第四十八章 カントの繼續者及び反對家

《カント哲學の反對家エーベルハルド、ガルフェ、ヘルデル等。》〔一〕カントは其の『純粹理性批判』を公にするに先きだち已に獨得の思想力あるものとして當時の學者間に注目せられ、其の批評哲學を發表してよりは彼れが哲學の十分なる意味は決して早く了解せられたるにはあらざれども猶ほ漸次に