Page:Onishihakushizenshu04.djvu/617

提供:Wikisource
このページは校正済みです

の外に目的上の說明を用ゐることを廢する能はず。

かくの如く有機物を目的に依りて形づくられたりと見る上は吾人は自然に其の見方を擴げて之れを全自然界に用ゐむとするを防ぐべからず。換言すれば、吾人は一有機體が全體の觀念によりて形づくらるゝを見るが如く其の住する自然界の諸物もを亦同じく全體の意匠によりて形づくられたるものなるかの如くに見ることを得。斯く見來たれば吾人は一切の生物が段階を成し人類が其の極致に位し而して自然界が人類を其の目的となし居るかの如くに見ることを防止し得ず。即ち吾人の見樣は所詮人間中心的ならざるを得ず。然れどもゆめ之れを以て其等自然界の諸物を學理的に說明したるものと思ふべからず、其の如き目的上の判定は吾人の知識の範圍內に屬するものに非ざればなり。畢竟是れは自然界の事物に客觀的說明を與へたるものに非ずして唯だ吾人自らの爲めにしたる說明なるに過ぎず。故に此等の判定も亦觀美的判定と共に知識上即ち論理上の決定的判定に對して反射的判定と名づけらるべし。知識の範圍に於いて言ふ時は吾人は宜しく機械的因果の關係を以て自然界に於ける一切の出來事を說明し得むこと