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に過ぎず。然るに有機體に於いては部分と部分との關係が全體の觀念によりて決定せらると見ざるべからず、換言すれば、其の諸〻の部分が相互に定形を與ふる所依となることに於いて全體の觀念が働き、因りて能く其等相互の關係を定むるものと見ざるべからず。此くの如く全體の觀念によりて個々なる部分に其の相互の關係の與へられ其の各〻に定形の賦與せらるゝをカントは名づけて其れが目的によりて形づくらると云ふ。彼れは生物の說明には機械的關係の外に其の如き目的上の關係をも持ち來たることを要すとせり。カントは生物に於ける種を論じては之れを本來定まりたるものの如く云へる所あれども又曾て一種が他種の變化によりて生ずることのあらむを臆說として許したり、例へば現在生存する猿猴の種類が自然界に於ける劇甚なる變動の爲めに將來或は人間に似たるものと變化することあらむとも想像せられざるに非ずと云へり。されど彼れは此の臆說を以て吾人が思想の冒險的所爲と考へたり。假りに凡べて生物の種類は或一根本生物より自然に變化し出でたるものなりとすとも遂に生物が無生物より生じたることを說明し得ず、故に生物全體の成り立ちに就いては吾人は機械的說明