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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/612

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量し得ざる程に大なるもの、後者は吾人の意志に對するものにして吾が意力を以て比較すべからざるほどに力あるものをいふ。美なるものは吾人の想像力と悟性とを相和する樣に働かしむるもの、壯麗なるものは吾人の想像力と理性とを其の消極的調和とも名づくべき關係に在らしむるものなり。之れを消極的關係といふは盖し人が壯麗に對するや吾人の感官に基ゐせる想像力が理性の觀念を現はすに足らざるを白狀することに於いて其れが却つて理性に對して有すべき態度を取りたるものなればなり。壯麗なるものは吾人に無限絕對なる者の觀念を喚起せしめ而して吾人の感官上に現はるゝ一切のものは能く此の觀念を現はすに足らざるものとせらる、換言すれば無限なるものは其れが想像力の作り得る形を以て表現されざることによりて表現さるゝなり。此の故に眞實に壯麗なるものは自然界なる外物に在らずして寧ろ其を認めて壯麗とする者の心に在り、即ちまことに壯麗なるは吾人の理性なり、詳かに云へば吾人の理性が我れ及び我れ以外に於ける凡べての自然界の事物の上に超絕したることを自覺することによりて壯麗の感を覺ゆるなり(此の點に於いても亦カントの主觀說を見るべし。)感性