Page:Onishihakushizenshu04.djvu/608

提供:Wikisource
このページは校正済みです

天的に綜合的判定を形づくることを得るなり。而して其の形式は主觀に對して目的にかなへる關係に外ならず。

上述せる所によりて見れば觀美的判定は快感に基ゐせるものにてありながら遍通性を有するものなり、感情なると共に判定なり。故にカントは之れを名づけて品評的判定Geschmacksurteil)と云へり。此の點に於いて彼れの所說は純形式的美學なると共に又感情的美學なり。

《美感の特色。》〔四四〕美が唯だ感官上快味あるものと異なるは後者が形式以外なる感官上の所依を有して遍通性及び必然性に缺ける點に在り。と相異なるは後者に於いては理性の觀念によりて吾人が快感を覺ゆる點にあり。唯だ感官上なる快味は禽獸も之れを感ず、又感官を有せざるものと雖も理性をだに具ふれば善を認むることを得、然れども事物を品評して美とするは唯だ人間これを能くす。完全(即ち內在的目的に適へる)と相異なるは後者が一物の槪念又は本性に基ゐする點に在り、盖し其の物を完全なりといふは其れが其の自らの槪念に合へるの謂ひなり、然るに美は槪念の媒介に依らずして吾人に快感を與ふるものなり。又美