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(即ち個々なる感覺に屬するもの)によりて起こさるゝ者なる故を以て美感の如く遍通的なること能はず。
かくの如くカントに取りては美なるものは唯だ其の形式のみによりて吾人に快感を與ふるものなり。而して彼れは此の故を以て色聲香味等一切の感覺に結ばるゝ種類の快感を悉く美界より排斥せり、曰はく、吾人が一物を美はしとする時の快感は色又は聲てふ感覺其の物に結ばれたる快味にはあらずして其等の感覺が時空の上に相關係せしめられたる形式によりて起こさるゝ快感なりと。斯くして吾人はカントの審美論に於ける二方面を認むることを得、即ち彼れの審美論は主觀說なると共に形式說なり。彼れに取りては美は主觀的のものにして其れが唯だ能知覺者に對してのみ在るは猶ほ彼れの知識論に於いて自然界の法則が唯だ知識する吾人に對してのみ在るが如し。是れ彼れ以後に於ける美學思想の發達上實に甚だ肝要なる點なりとす。カントは其の知識論にも又其の道德論にも貫通し居る形式主義に從ひ其の審美論に於いても亦凡べての內容を排除して唯だ形式のみを殘したり。其れ唯だ形式に闊係す、かるがゆゑに美に關しても亦先