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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/603

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に對するや其を恰も目的を有して働き居る(換言すれば目的といふことに於ける統一ある)ものなるかの如くに見る、而して其の統一は悟性の局部的統一よりも理性の無條件なる統一に近き趣あり。されど其は前なる二者と異なりて學理的知識にもあらず、又道德上の要求にもあらず唯だ其の如き目的上の統一あるものなるかの如くに判定するのみなり。

《決定的判定と反射的判定、目的上の判定と觀美上の判定、カントの第三批判の問題。》〔四二〕判定は、廣き意味にていふ時は二極の部類に分かる、決定的判定bestimmendes Urteil)及び反射的判定reflektierendes Urteil)是れなり。決定的判定とは已に與へられたる通性に屬するものとして個物を置くもの、反射的判定とは與へられたる個物をおくべき通性を求むるものを謂ふ。換言すれば、前者は一事物其の物の有する性質として其れに決定を與ふる者、後者は前者の如く事物其の物の成り立ち及び性質を言ひ現はすものに非ず、其れに就いて知識を與ふるものにあらず。反射的判定は唯だ判定を下す者自らが其の事物に對する態度をいふに過きず、即ち客觀的に一事物に就いて決定を與ふるものにあらで唯だ主觀に顧みたるもの、換言すれば、一事物を見て恰も智慧ある者が之れに與ふるに統一を以てし而して