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的なる又有條件なる吾人の見樣にして物自體は其の範圍に在らず。自由界は道德上の事にして絕對無條件なる眞實體界のことなれども其は知識にあらずして要求又は信仰たるに過ぎず。さればカントに取りては自然界と道德界との二つは全く別異の世界を成して其の間に一致の存することを說く道なきが如く思はる。自然界は唯だ事物の在る樣を云ひ道德界は吾人の當さにあるべき樣を言ふ、前者は感官上のものにして悟性の範圍なり、後者は感官以上のものにして理性の範圍なり、吾人は兩者の間に如何なる關係の存するかを知らず、されど道德は其の理想が自然界に行はるゝことを要求す、然らば其の間に何等かの一致を示すものなくしては此の兩界が唯だ二つの離れのものに分かれ了はる困難あり。此の困難を救ふ道としてカントは恰も兩者の中間に位する如きものとして判定力(Urteilskraft)の境涯を置けり、是れ即ち彼れが第三なる批判の問題なり。彼れ以爲へらく、悟性は局部的(關係的又有條件なる)統一によりて働き、理性は無條件なる觀念によりて働き而して判定力は自然界に於ける目的といふ觀念によりて働く。判定力の依りて以て働く統一は目的ある動作に於ける統一なり、判定力の自然界