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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/597

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ひて可なり。カントの思想は道德主義を以て始終を貫けるものと云ふべし。

《カントの宗敎論。》〔三九〕カントは『理性のみの界限內に於ける宗敎』と題したる書に於いて其の宗敎上の意見を述べたる中に論じて曰はく、吾人の經驗上の事相として現はるゝ品性を見るに自ら罪惡に向かふ傾向を有す、吾人の生得の性に於いて此の惡に向かふ傾向(Hang zum Bösen)の存するは是れ取りも直さず吾人の根本的性質に於ける罪惡を示すものなり。故に吾人にして若し眞實德行を爲さむには其の根本的性質に於いて其の心情の根柢に於いて改まる所なかるべからず。カントは之れを基督敎會の所謂原罪論及び更生の敎理に結び付けたり。彼れ又以爲へらく、神の子が人間となりて現はれて人間を救ふといふことの意味は畢竟ずるに完全なる人間の理想の實現せられむが爲めに此の世界が神によりて攝理せらるといふことに在り、故に基督を信ずといふは人間の理想を我が心に抱きてそれに化せられ行くといふことに外ならずと。

敎會は右等の宗敎上の敎義を以て人類を敎化し行く目的を有するものなり、換言すれば、敎會は道德上の修練を計らむが爲めに互に志を同じうする者の相結びた