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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/59

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究法の明瞭なる意識に始まれり。新硏究法と新學問の理想とを明らかにすることによりて近世哲學の一大新時期を開くに至れるは恰も希臘哲學に於いてソークラテースによりて新時期の開かれたりしに比すべし。而して其の如き硏究法は要するに確實なる出立點に起こりて確實なる知識を造ることに存すれども謂ふところ確實なる方法に二途を分かつを得べし。即ち一は確實なる根據に立脚すといふことをば吾人が實驗する數多の外界の事實を蒐集し觀察するにありとするもの、一は謂ふところ確實なる根據を吾人が意識の確實なる證明に求め意識に於いて直接に確實とせらるゝ所を根據とし之れよりして理を究め步を追うて進みゆくを要すとするもの、是れなり。後者即ち意識の直接の證明に根據することは已にアウグスティーヌスが所說の一方面に於いて其の端緖を見たるものにして是れ近世哲學に於ける大潮流たる究理學派を成したるもの也。前者即ち外界の個々の事實を多く觀察して漸次に確實なる知識を組織せむとするもの是れ即ち近世哲學の他の大潮流なる經驗學派なり。