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第二十九章 近世學術の濫觴

《近世學術の舞臺、濫觴及び硏究法の論。》〔一〕前章に述べたる過渡時代、他の語にていへば文藝復興時代(即ちヒュマニスト時代)に於ける思想の舞臺は專ら伊太利次いでは獨逸なりき。然るに其の後羅馬敎會がプロテスタント敎の勃興に對し自衞策を講じて益〻其の主張を固くしたると共に內部の改良を行ひて其の勢力を强めたる結果として新學術思想勃興の氣運は伊太利に於いてはおのづから抑壓せらるゝこととなり、獨逸に於いては宗敎改革に次いで起こりたる戰爭によりて一時學問の衰頽を來たしたるが爲め近世哲學當初の舞臺は英吉利、佛蘭西及び自由制度を布きて大に思想信仰の自由を與へむとしたる和蘭なりき。謂はゆる經驗學派を成すに至りし學統の濫觴及び發達は專ら英吉利に於いて見ることを得べく而して他の大潮流なる究理學派は佛蘭西に起こり其の舞臺は延いて和蘭に及べり。

こゝには先づ究理派並びに經驗派の哲學上の組織の成立する以前に於ける近世學術の濫觴殊に其の硏究法上の論を述ぶべし。是れ即ち近世謂はゆる自然科學