コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/58

提供:Wikisource
このページは校正済みです

貴びしことに於いて近世學術の一大潮流なる實驗的硏究の進步に益する所ありき。蓋し近世の新哲學思想は懷疑を以て始まりきと謂ふも可なり。先づ在來の思想を一掃し全く根柢より新たに確實なる方法に從ひて確實なる知識を形づくらむといふこと是れ近世哲學の冒頭に揭げられたる目的なり。

《新哲學の新硏究法、究理學派と經驗學派。》〔一五〕近世學術の祖と云はるゝ人々に於いては恰も言ひ合はせたらむが如くに舊思想を捨て一切の先入を去りて學問界に大革新を來たさむとする大志望の懷かれたりしを見る。而してかくの如き學問上の新組織を成すことに最も必要なるは其を組織せむための新方法なり。此の故に學術の硏究法を明らかにすることが近世哲學の當初に於ける最も肝要なる問題なりき。本章に叙述したる過渡時代に於いて種々の新思想の沸騰したるを見れども未だ大なる組織の成れるものあらず、唯だ心あてに一大新組織を成すべき根柢を探りつゝありしものの如し。而して未だ其の如き組織に達し得ざりしは主として確實なる又有力なる新方法を明らかにせざりしに由る、其の如き硏究法を明らかに意識することなくして多くは唯だ大膽に想像に走りしに由る。近世の新哲學は實に其の如き新硏