コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/578

提供:Wikisource
このページは校正済みです

越的境界に達せざるものにして其の存在を證すること能はざると共に其の存在せざることをも證すること能はず、即ち理論上の知識としては唯物論も無神論も共に倒れざるべからず。カントの考ふる所によれば、かくの如く一切其等の立說を拂ひ去りたることが哲學に於ける彼れが知識論の一大功績なり、純理的知識としては有神論も立せられず又無神論をも唱ふべからざる代はりに吾人は全く新らしき路を取りて進むことを得、而して此の新路を進み行くに於いて聊かの障礙も其の途に橫はり居ることなし。謂ふ所新らしき路とは何ぞや、是れ即ちカントが其の『實行的理性批判』に於いて取らむとしたるもの即ち道德論なり。


道德論

《吾人の意志の活動に於いて如何なる綜合的判定が先天的に立てらるゝか。》〔三一〕カントが其の道德論に於いて攷究せむと欲する所は吾人の意志の活動に於いて如何なる綜合的判定が先天的に立てらるゝかと云ふことなり。即ち彼れが其の知識論に於いて論じたる所は知的理性が如何なる先天的形式を以て吾人の知識を成り立たしむる要素となすかといふこと(詳しくは直觀、悟性及び理性