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にのみ見ず、世界は如實にしかありと見て而して之れを以て吾人の知識の對境を形づくるもの(constitutive Principien)とするがゆゑに前に述べたるが如き形而上學上の困難に陷るなり。斯く唯だ自然界を硏究する心得としては其れに統一を與ふる目的作用即ち意匠ありて其れをして然らしむるかの如く見るは決して不都合なることに非ずと。此の硏究の心得を云ふ趣意はカントが『純粹理性批判』の最後の部分なる硏究法論(Methodenlehre)に於いて論述したるところにして目的觀の論は尙ほ後の著述に於いて更に開發したる論點なり。〈Methodenlehre に對し "transzendentale Aesthetik" 及び "transzendentale Logik" を合して "Elementarlehre" と名づく、但し「エレメンタルレーレ」が批判論の主要の部分を成すものにして「メトーデンレーレ」は附屬物たる位地に在り。(此の區分及び名稱はヺルフ學派の慣用より來たれり。)〉
《吾人の知識は超越的境界に達せず。》〔三〇〕かくの如く神、自由意志及び靈魂の不滅に就きて吾人は純理性の上に於いて理論的知識としては之れを證明すること能はず。其等の純理哲學的論證がかくして打破せられたると共に其の反對も亦均しく論證せらるゝこと能はず、何となれば其等の存在を證することが超越的なるが如く其等の存在せざることを示すことも亦均しく超越的なればなり。畢竟ずるに、吾人の知識は其の如き超