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が却つて一種の便利を與ふるものなり。例へば吾人が精神的現象を考ふるに當たりて恰も其が一の靈魂てふ實體に基するかの如くに見ば其の現象に統一を與へて考ふる上に於いて一種の便利あり、又世界をも全き一體を成すものとし而して神といふ絕對的原因が在るかの如く思はば一切の事物を統一して考ふる上に便利あり。然れども事物の實際が其等の觀念の示すが如くありと云ふにあらず、唯だ恰も其等の觀念の示す所の如くに事物を考ふることが其を考ふる上に於いて最も便利なる方法なりといふのみ、換言すれば、其等の觀念は吾人の知識の理想として思ひ設くるに止まりて吾人の現に知識する現象界が如實にしかありといふ意味にはあらず。其の如き絕對的統一を有する一全體を標準として恰も其の如きものなるかの如くに吾人の經驗する一切の現象を見る是れ即ち知識が其の理想にむかひて進步し行くものなり、故に其の如き理想と見て此等の觀念を取り扱ふは決して不都合なることに非ず。尙ほ換言すれば、此等理性の觀念は吾人の硏究を指導するもの(regulative Principien)としては正當に用ゐらるれども唯だ其れを其の如く硏究の指導若しくは知識の標準として事物を恰もしかあるかの如く