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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/570

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ば二者共に宇宙の全體を完了せる一體と見ることより出立せるに、實際吾人の經驗には其の如き完了せる一體といふものなく完了せる全體は唯だ理想として吾人の思ひ設くる所に外ならざればなり。實際世界は唯だ幾多現象が相關係し其の關係を追うて一より他へ移り行くものとして存在するなれば其の一より他へ移り行きて其の全體を經過し悉くすこと能はず、其の如く全體を經過し悉くしたる完了せる一體としては世界は吾人の知識の範圍內に存在せざるなり。故に世界は完滿なりといふ意味にて無限なるものにあらず、又其が際限に到達し得べきものにもあらず。時間及び空間は吾人が事物を觀る見方にして其を性質として具へたる世界といふ一全體が客觀的に存在するには非ず、若し其の如く客觀的に存在する世界てふ一全體のみづから具ふる性質として時間及び空間を實在するものと見ば其の時こそ實在する時間及び空間は際限あるものか又は然らざるかと問ふことを得べし、然るに時間及び空間は我が心の見樣にして吾人が自ら時空を限りて見れば其處に限りあり、又其の限れる一部分の時間及び空間の外に他の部分なる時間及び空間を連接せしめて見れば其の聯接の最後に達することなして