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想像に失したり。かくの如く一方には種々の思想の沸騰しながら未だ能く其の形を成さざるに他方には昔時人心を支配したる思想の已に勢力を失へる時代に屢〻出で來たるは懷疑的傾向なり。而して此の懷疑的傾向の實に當時に現はれたるを看る、又其の傾向は古代の懷疑說の復興によりて强められたる所あり。古代の懷疑論者の旣に說ける所なる五官の知覺の誤りあること及び人々の所信の相異なること等を根據として懷疑的思想を吐露したるはモンテーヌ(Montaigne 一五一三―一五九二)なり。彼れおもへらく、吾人は眞理の何なるかを確實に知覺し得ざれども何を爲すべきかを定むることは能はざるに非ず、吾人が行爲の規範として依るべきは一は自然の性に從へる生活、一は天啓の敎示、是れなりと。蓋し後者は即ち宗敎の信仰にして前者は世人が常識を以て善しとすることを指せるに外ならず。モンテーヌと同じく佛蘭西人なるシャロン(Charron 一五四一―一六〇三)に於いても亦懷疑的傾向を見る。シャロン說いて曰はく、懷疑の目的は硏究心を盛んにすると宗敎上の信仰を貴くするとに在り。吾人は究理心を以て遂に確實なる眞理を發見すること能はざるを知らばおのづから宗敎上の信仰を尊ぶに