Page:Onishihakushizenshu04.djvu/551

提供:Wikisource
このページは校正済みです

一作用其の物を意識せずして寧ろ其の作用の結果を認む。故に茲に云ふ吾人の知識作用の根柢に橫はれる統一作用は個人意識の範圍內に於いて行はるゝものと云はむよりも寧ろ其の意識の遍通的根柢に於いて已に橫はれるものと見るべきなり、換言すれば、個人の經驗する意識以上に(又は其の根柢に於いて)更に共同的なる意識ありて而して其の意識が個人の經驗的意識の範圍に旣成の結果として現はれ來たるものと見ざるべからず。是れ即ちカントが其の著『プロレゴメナ』に於いて共同的意識(Bewusstsein überhaupt)と名づけ又『純粹理性批判』に於いては知識の先天的條件を成す統一作用(Transzendentale Apperzeption)或は「我」と名づけたるものなり。盖し此の「我」といひ共同的意識といふは知識論上より見て吾人の意識を成り立たしむべき遍通なる先天的條件といふべきものなり、尙ほ詳しく云へば、個人の經驗的意識に於ける統一作用(即ち知識論上其が先天的條件と見るべき統一作用)の根柢を成すべきものを謂へるなり。然れば此處に於いても經驗的心理學上に言ふ所とカントが知識論上先天的條件として謂ふ所とを區別せざるべからず。

《範疇と直觀との媒介をなす圖式、想像力。》〔二〇〕悟性の槪念を感官的直觀に用ゐて而して始めて經驗上の事物の成り