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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/54

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人各〻が利益を計る心に由り形づくられたるものにして其の權を神聖にするは獨り敎會の能くする所なり。國家の主權は本來人民に在るものなれば敎會が君主の權を神聖冒す可からざるものとせざる限りは人民の意に隨ひて之れを取りかへすことを得べしと。當時羅馬敎會の版圖を脫したる國々に於いてイェスイトの徒は斯かる思想に基づきて革命的思想を鼓吹せむと試みたり。此の點に於いてプロテスタント敎徒の國家論は其の趣を異にし國王の權は神の制定に出でたるものにして人民は必ず之れに服從する義務を負ふものとなしたり。

《グローチウスの國法論。》〔一三〕敎會の宗義に拘ること無くして全く獨立に國家及び政治を論じたる學者の中に就き最も肝要なるものを揭ぐれば英吉利人にはトマス、モーア(Thomas More 一四八〇―一五三五)ありて宗敎に對する寬容主義を唱へ、佛蘭西人にはボダン(Bodin 一五三〇―一五九七)ありて歷史的事實の硏究に心を用ゐ、伊太利人にはジェンティーリス(Gentilis 一五五一―一六一一)ありて私權の原理を物理の法則上より論ぜむと試み、獨逸人にはアルトゥス(Althus 一五五七―一六三八)ありて民主權を唱へ、社會は人民の相約して成せるものにして何人も人民の權を取り去