コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/53

提供:Wikisource
このページは校正済みです

にして常に惡事に傾き、善事を爲すは唯だ其の止むを得ざる時に於いてのみ。政治上の問題は道德上の論辯を以て解釋せらるべきものに非ず、須らくによるべし、腐敗したる國家に在りては特に然りとなす。元來國家は唯だ人間の利益及び必要に生じたるものなるを以て國家に關することは凡べて利益の爭ひてふ立脚地より觀ざるべからず。國家を統治する者は宜しく擅制の權を以て其が國家の隆盛を計るべし、苟くも此の目的にだに益するあらば如何なる手段を用ゐるも可なり。目的は手段を正しくす。之れをマッキャヹルリが有名なる政治論とす。當時彼れが伊太利に在りて唯一の目的となせるは其が生國の獨立と繁榮となりき、而して羅馬法王の權力は伊太利の國家的獨立と相合はざるものなりと見て痛く之れを攻擊せり。

マッキャヹルリは非敎會主義を執りしが當時羅馬敎會の方に於いても(イェスイト徒中に)國家の論を爲したる學者あり。中に就いて有名なるをべルラルミーノ(Bellarmino 一五四二―一六二一)マリアーナ(Mariana 一五三七―一六二四)等とす。彼等は敎會の下に在らざるものとしての國家の起原を考へて曰はく、國家は