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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/523

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人の道德上の判定を論じたり、而して道德上の判定に於いて現はるゝ所のもの是れ即ち實踐的理性(又は行的理性)の指示にして彼れが之れを知的理性と相分かちて全然異別なる範圍に置きたるは上に彼れが著述を揭げたる所に於いても認め得らるゝ如く、彼れが其の批評哲學を完成するにさきだちて已に早く思ひ到れる意見なりき。第三の部分は吾人が下す判定の、美醜の品評に現はれたるものを論じたるものにして彼れは之れを吾人の感情の方面に係れるものとなし之れに對して倫理の論は吾人の意志の作用に係れるもの第一なる批判は吾人の知性に係れるものと見たるなり。即ち彼れが哲學の三部分(三批評論)は當時唱へ出だされたる心理學上の知情意の三分說を取りて之れに連結せしめたるものなり。以下先づカントが第一の批評論なる知識論より開陳せむ。


知識論

《唯理說及び經驗說に對するカントの態度。》〔六〕上にも云へる如くカントの批評哲學は知識論上の問題より出立せるものなり。彼れは其の初めヺルフ學派の獨斷說の中に養はれたるものにして初年