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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/524

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には其の說に從うて吾人が論理的に必然に考ふることは取りも直さず實在其の物の相なりと見たり、されど後に彼れは唯だ槪念を用ゐて爲す論理的作用を以てしては實物の存在と其の因果の聯鎖とを認むること能はずと見て茲に獨斷說の覊絆を脫するに至れり。カントが此の思想の變化は一千七百六十年以後の著述に於いて認むることを得べく、彼れは當時吾人の槪念を論理的に取り扱ふのみにては能く種々の說を構ふるを得而して論理的關係より云へば何れも皆至當なるものと云ふを得れども畢竟此等は凡べて架空の論たるを免れずと見るに至れり。然らば實在の相を認めむには吾人の經驗によりて得たる觀念によらざるべからざるか、之れを以て善く實在に關する知識を形づくり得べきか。ヒュームは即ち此の方面に向かひて其の硏究の步を進めたる者にして、而して其の硏究の結果の到る所終に吾人が實在の相を認むる時に用ゐる因果及び實體等の觀念は吾人が經驗の根據たる感官的知覺よりしては到底正當に得らる可からざるものなることを證せり、故に若し經驗派の學者の所謂感官的知覺を以て吾人が知識の根據と爲さば因果と云ひ實體といふが如き觀念は聯想作用によりて生じたる我が心の主