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一千七百六十六年の著述なる "Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik" に於いて彼れは更に進んで懷疑說に向かひ行けり。以爲へらく、吾人が純理哲學上種々の考說を構へ得ることは爭ふべからず、されど靈魂の本性と云ひ、自由意志と云ひ、其の他凡そ純理哲學上の問題は吾人の知力を顧みることをする哲學に取りては到底解釋し得べからざるものなり。かの精靈に交通して其の啓示を受け祕密界のことを探知し得と唱ふる一種の神祕說(即ちスヹーデンボルグの主張する降神術)の如きも能く之れを物體の外に精靈てふものありとする純理學的所見に基づき一の臆說として物理的に構設し得ざるにあらず。然れども斯かる臆說は又能く狂人が種々の妄想を思ひ浮かぶると擇ばざるものとしても說明し得ざるに非ずと。蓋し彼れの意は經驗を離れては如何に奇怪なる說をも均しく能く構設するを得といふことを諷刺したるものと見ゆ(然れども降神術を信ずる論者中にはカントをも其の身方なりと主張せる者あり)。斯くカントは懷疑說の方面に進み行きて純理哲學は學理としては立つこと能はずといふ結論に達したるものから猶ほ道德上の命令は別に其れ自身に獨立の効力を有すといふこと