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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/516

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を主張せり、盖し彼れに於いては知識上の事と道德上の事とが別異なる範圍を成すといふ思想は早くより其の根帶を固めつゝありしなり。斯く彼れは其の思想の明らかに懷疑說に進み行けることを示し居れども尙ほ其の一千七百六十八年に出版したる空間に於ける物體上の差別の根據を論じたる書に於いては先きにオイラー(Euler)が論じたる如く空間は唯だ物體の部分の相互の關係にのみ存在するにあらず即ち唯だ關係的のものに非ずとして絕對的空間の實在を主張し是れは唯だ吾人の思想上に思ひ浮かべたるものに非ずと論ぜむとしたりしが(ニュートンが空間の論と比較せよ)一千七百七十年の論文に於いては已に空間を以て單に吾人の心の上のものと見定むるに至れり。

上に云べる彼れが一千七百七十年にものしたる論文 "De Mundi Sensibilis atque Intelligibilis Forma et principiis" はカントが思想發達の歷史に於いて重要なる位置を占むるものなり。彼れ論じて曰はく、吾人の知識に二種あり、感官上のものと理觀上のものと是れなり、前者は事物を吾人の感官に現はれたる樣(sensibilis)に於いて示すもの、後者は吾人の理智を以て看取する所のもの(intelligibilis)にして事物を其れ自身