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を取り之れを分析して其の中に行はるゝ法則を發見せむとするもの即ち分析的(analytisch)のものにして之れを硏究する方法はニュートンが自然科學の硏究に於いて取ることを要すとしたる方法と同一の道を取らざる可からず、此の外に之れを確實ならしむる道なしと。而して彼れの見る所に從へば、斯くして攷究すべき純理哲學は諸種の學問の中にて最も困難なるものにして嚴密に云へば實際には未だ一の純理哲學の作られたるものなしといふべきなり。かくカントは純理哲學に對する確信を失ひ來たれる其の代はりに道德的感情を以て獨立固有の領域及び根據を有するものとなせり、盖し彼れは此の書に於いて善を認むる感情と眞理を知る能力とを以ておのづから相異なるものとなしヺルフ學派が善を認むる作用を知力の一種として論ずることを非とせり。彼れは其の著 "Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen"(一七六四出版)に於いても亦善美に對する感情を說きて其は道德上の指揮を與ふるものとして確實なるものなるが如くに云へり。此等の論に於いてはカントが英吉利のシャフツベリー風の思想に感化され居ること明らかなり。