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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/507

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り用ゐて茲に一面唯理學派の學相を具へ又多少神祕的趣味を加へたるが如き哲學組織を案出したる時代、簡に云へば彼れが其の批評哲學に向かひて一步を進めたると共に又第二期に於いて大なる影響を受けたる經驗學派の思想より多少唯理學派に立ち戾りたる時代にして、是れ彼れが一千七百七十年に正敎授の講座を得たる時にものせる就職論文に於いて發表したる立脚地なり。第四期は彼れが遂に其の特殊なる批評哲學を成したる時期にして其の思想は彼れが一千七百八十一年に公にせる名著『純粹理性批判』に於いて發表したるものなり。されど彼れが一千七百七十年其の就職論文に於いて言ひ現はしたるより其の固有なる批評哲學を完成するに至る間に於ける思想發達の次第に就いては明瞭にし難きものあり。此の期間の彼れが書簡によりて察するに彼れが新見地を發表すべき著述を世に公にすることの近きにあらむことを豫吿しながら尙ほ自ら其の望を滿たすこと能はずして久しく其の完成に至らざりしことと思はる。

《カントの思想發達槪觀、其の著述。》〔四〕カントが初年の思想の發達に最も大なる影響を與へたるはヺルフ學派の思想とニュートンが物理學的世界觀となり。此の二つの思想は大に其の由來