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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/506

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序に就いては哲學史家の間其の見を異にする所あり、そは今日に遺存せる材料少なからねど尙ほ委しくは之れによりて決定して云ひ難き所あればなり。されど其の大體に就きていへば畧〻之れを四期に分かつことを得べし。第一期は即ち彼れがライブニッツ‐ヺルフ學派の獨斷說に居りし時代なり。第二期は彼れが唯理學派の立脚地に疑ひを起こし經驗學派の思想によりて動かされ終には純理哲學に對しては頗る懷疑的になり而して此の方面に於いて其が確信を失ひたる代はりに道德上の直接の感情を尊び之れを以て純理哲學的論證を要せず之れとは全く相異なれる範圍に屬する者となして恰もこゝに其の安居を得むとしたるかの如くに見ゆる時期にして、此の期に於いて彼れは英吉利學者の影響を受けたること最も著るかりき。彼れが思想の此の變遷は一千七百六十年以後の彼れが著述に於いて見ることを得。第三期は彼れがヒュームの哲學の影響を受けながら中心之れに滿足せずしてラムベルトと共に知識論上の硏究に著手し哲學攷究の方法に改良を行はむと力め其の後に建設したる批評的哲學の途に向かひて進み行かむとし而かも又ライブニッツが其の著『人智新論』に於いて發表したる思想を採