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の位置を占めむと試みたるカシミール、フォン、クロイツ(Kasimir von Creuz 一七二四―一七七〇)、又同じくロック及びライブニッツの所說を接合し且つ哲學歷史家として其の名を遺したるティーデマン(Tiedemann 一七四八―一八〇三)等あり。

又當時に於いて美學上の著述を爲したるものにはスルツェル(Sulzer 一七二〇―一七七九)及びモリッツ(Moritz 一七五七―一七九三)あり。彼等の所說はおほむねバウムガルテンの所論を根據としたるものなりき。

《ヘルデルの歷史哲學、敎育家バーゼドー、カムペ、ペスタロッツィ。》〔九〕當時の學者の中、人類歷史の哲學的見解に心を用ゐて思想界に輕からざる位置を占めたるは當代の一文豪ヘルデル(Herder 一七四四―一八〇三)なり。彼れは其の歷史上の見解に於いて一般の啓蒙的學者の平準以上に出でたる所あり。彼れは吾人の自然に發達する能力を有することを根據として歷史上の變遷を說かむとせり、即ち彼れの根本思想はライブニッツが哲學思想より得來たれるものにして而して其が哲學の眞意を解することに於いて彼れは當時の一般の啓蒙的思潮の上に出でたり。ルソーは人類が今日に至るまでの社會文化の進步は寧ろ墮落なれど若し今後に於いて改めて其が眞正なる自然の發達に任せなば吾人は