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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/495

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幸福になり得べしと信じたりしが、當時佛蘭西に於ける社會改良家は槪ね皆此のルソーの信仰を受け繼ぎたる者なりき。ヘルデルは同じく自然の發達を說き而して彼れは此の思想を過去の歷史に用ゐて人類が今日に至るまでの經過も亦おのづからなる發達の順序を經たるものにして其が起原に於いても人類の思慮して相約したることに始まれるにあらねば又特に神明の制定したるにもあらず、寧ろ人間天禀の性に從ひて自然に成り立ちたるものなりと云へり。彼れは又此の思想を用ゐて言語の起原を說明せり。當時言語の起原を論ずる者、コンディヤックの如きは言語は人間の知慮を以て發明したるものなりと云ひ、ジュッスミルヒ(Süssmilch 獨逸人)等は上帝の吾人に授けたるものなりと說けり。ルソー旣にこれに關して說を爲して人間の性能の自然に開發し行く所に言語の起原を求めしが、ヘルデルは更に明らかに自然に成り立ちたるものとして言語の起原を說かむとせり。

斯くヘルデルに從へば、人類の歷史は段階を成して其が自然の發達を遂げ行くものにして一國民は其の天稟の性質と境遇とによりて自然に其の歷史をなし行き、