Page:Onishihakushizenshu04.djvu/492

提供:Wikisource
このページは校正済みです

クが硏究の結果とライブニッツ‐ヺルフ學派の思想と、換言すれば經驗說と唯理說を結合せしめむと試みたり。以爲へらく、吾人は吾人の思想の形式を其の內容より取り出だすこと能はず又其の內容を其の形式より得來たること能はずと。斯く彼れが吾人の知識の成り立ちを說明することに於いて其を思想の內容を成すものと形式を成すものとの二要素に分かち、而して其の一を分解して他に歸せしむること能はざるものとし、又其の一を缺きて吾人の知識は成り立つこと能はずと唱へ出でたる所、是れ即ち知識論上一新路を開かむとしたるものにして、カントが取りて哲學史上の大革命を爲したるも亦此の道によれるなり。されどラムベルトは斯くして吾人の經驗を分析して得たる規律を直ちに客觀的實在其の物の規律として用ゐたるがゆゑに其の結果として彼れは從來の本體論風の哲學組織を立つることに躊躇せざりき。カントが其の批評哲學を完成する以前の一時期に於いてはラムベルトの攷究と略〻相同じき方面に向かうて其の思想を運ばしたり。

當時心理學の硏究に心を用ゐたる者頗る多かりし中に就きて最も重要なる位置