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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/487

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ライマールスはべてデイスト風の論者の唱へたるが如く宗敎上唯だ事實なるものは凡べて吾人の智力の理解し得べきものにして其の他の荒唐無稽なる事は一切假造若しくは詐僞によりて成れるものと見て其が歷史的發達の方面に眼を著くることを爲さず又聖書の批評を爲すにも文書の穿鑿には涉らざりしが原文書の歷史的批評に著眼して此の方面の硏究を開くことに與りて功績ありしはセムレル(Semler 一七二五―一七九一)なり。

《レッシングの宗敎發達論。》〔六〕啓蒙的思潮の產出せる思想家の中最も明瞭なる批評的頭腦を有し且つ後の思想の啓發に益すること多かりし者は有名なる文豪レッシング(Lessing 一七二九―一七八一)なり。彼れが文學上及び美術論評上に於ける功績は且らくこゝに言はず、彼れは當時の啓蒙的思潮の中に立ちて肝要なる位置を占めたる者にして其の哲學的思想はライブニッツの所說より來たれるものにスピノーザの哲學を加味したるが如きものなり。〈久しく世に忘れ果てられたるスピノーザに向かひて再び後世の思想界の眼を注がしめしことに與りて大いに力ありし一人は即ちレッシングなり〉彼れに從へば、神明は凡べてを統括する最高の活きたる一體にして全く差別と變化とを排するものに非ず、萬物は彼れ以外に存するに非ずし