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想派心理學者の生理的唯物論の如きを以て其が哲學的方面に於ける結果と見ることを得べく、一般に云へば英吉利に於ける啓蒙的運動は溫和にして常に英國人の特長とする常識によりて支配せられたる趣あり、且つ又英國社會の狀態は當時の歐洲に在りては最も多くの自由を許したるの故を以て啓蒙的思潮に對して頑固無謀なる抵抗を爲し却つて之れを激せしめ極端に赴かしむることなかりし趣もあり。佛蘭西に於いては其の學者の一般の傾向として其が啓蒙的思潮を理論上大膽に推究して其が極端なる論理的結論に赴くことに躊躇せざりき、且つ社會制度の上に於いては專制政體及び階級的壓制に對して終に甚だしき反抗を惹き起こすこととなれり。獨逸に於いては啓蒙的思潮の全體の傾向は折衷的にして其が主要なる要素はヺルフ學派の唯理說より流れ來たれるものなりき、盖し吾人の理解力を以て何事をも明瞭に解し得べきものとし之れに合はざることは皆之れを迷妄として排斥すること即ち唯理學派の精神が取りも直さず啓蒙的思潮の骨子を成すこととなれるなり。されど之れに加へて佛蘭西及び英吉利より輸入したる思想亦其の動力となりたりき。尙ほ他に多少獨逸に於ける啓蒙的思潮に貢