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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/481

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哲學其の物も各自の心を自觀する心理の硏究と殆んど同一なるに至れり、是れ英國に於いては蘇格蘭學派に於いて見る所にして獨逸に於いては心理學硏究の盛んなりしことに於いて其の最も著るきを見る。またおなじ傾向の結果として凡そ主觀的なるもの、凡そ特性の存するものを喜ぶ心を惹き起こし來たれり。

上に云へる如く自然科學硏究の見方(時間上の發達よりも寧ろ永恒に變はらざる物理的法則に著眼したる見方)を以て其の要素としたることの結果として啓蒙的思潮にはおしなべて歷史的眼孔に缺けたる所あり。唯だヒュームの如きが當時に在りては歷史的變遷を解することの最も勝れたる者の一人なるべし。此の點に於いてライブニッツが發達論は當時の啓蒙的思潮の上に出で其の眞價値は該思潮の先導者等によりては充分に了解せられざりき。

《英、佛、獨に於ける啓蒙思潮の特色、ピエティストの運動。》〔三〕以上述べ來たれる啓蒙的思潮は歐洲の思想界に於ける一般の現象にして英吉利に於いても佛蘭西に於いても又獨逸に於いても皆之れを見る。但し此等三國に於ける啓蒙的思潮には多少の差別なきにあらず、英吉利に於いてはヒュームのポジティヸズム、デイストの宗敎的運動、シャフツベリー等の道義學及び聯