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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/480

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て可なり。

上に述べたる啓蒙的思潮の特色に本づき其の先導者の求むる所は個人が獨立に各〻自己の意見に從ふといふことにして從ひて其の思想に於いては自由ならむことを求め、宗敎に於いては敎權に反對する自由思想となり、政治に於いては階級的制度に反對する自由主義となれり、されどかくの如く其の見地の個人的なりし故を以て社會の有機的組織を了解すること十分ならざりき。而して當時に在りて此の有機的組織を認むるに近き者に於いてはライブニッツ風の調和といふ思想先づ其の最も優れたるものなれど、其の思想また是れより以上には出でず、蓋しライブニッツの唱へたる調和說も元來獨立の單元を根元とするものなるがゆゑに其の謂はゆる調和を解するに多くの困難あることは曾て述べしが如し。

當時思想界の傾向が此くの如く個人的なりし結果として人皆凡べての事に於いて個人的のことを好み又各自が自己の心を觀察することを好み而して其の結果として自ら我が感情を樂しむことに耽る傾きを生じ自叙傳風のもの多く出で來たれり、其の好例はルソーに於いて之れを見るべし。又おなじ傾向の結果として