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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/477

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眞正なるものと云ひ居る所あり、又彼れが社會の墮落を言ふ時の非現世說と其が宗敎思想との間にも亦相和せざるが如き所ありといふことを得。之れを要するに、ルソーは決して組織的思想家なりしに非ず、されど其の唱道せる所の中には後世の大なる新運動の種子を含めるを以て近代の民主政體及び共產主義も彼れに其の脈絡を引き無政府黨までも彼れより其の思想を汲み來たれりと稱せらる。哲學及び心理學に於いて吾人の心生活の特殊なる方面として感情の價値をいふに至れるは彼れに負へる所多く、又敎育に於ける自然主義、文學に於けるセンティメンタリズム及びロマンティシズムの如きも亦彼れに其の少なくとも一部の淵源を有する所あるなり。

《ルソー以外の當時の社會論者。》〔三九〕當時社會問題に對して最もよく其の眼を注げるものは先づルソーを推さざるべからざるが其の他主として經濟上より此の問題を論じたる輩にはクェスネー(Quesnay 一六九七―一七七四)及びテュルゴー(Turgot 一七二七―一七八一)等あり、又共產主義を唱へたるものにはモルレー(André Morellet 一七二七―一八一九、彼れの說はプラトーンの國家說に感發されたる所あり)及びマブリー(Mably コンディ