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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/476

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想は已に佛蘭西の大革命の根本思想を發表せしものにして彼れ自らは決して其の所說のかくの如き結果に立ち至ることを豫想せるにはあらざれども彼の大革命は取りも直さず彼れの思想を實現せむとしたるものと云ひて不可なし。

《ルソーの說の影響及び其の批評。》〔三八〕ルソーの說ける所は根本思想の上より見て特に大なる新發明の見と云ふべきものにあらざりしが彼れは時人よりも明瞭に之れを看取し且つ彼れの天才が之れに特殊なる表現を與へたりし故を以て恰も全く新奇なるものの如く殆んど魔術の力を以て歐洲の思想界を動かしたり。且つ彼れの說ける所には論理上の關係の明瞭ならず寧ろ相反するが如き節も無きにあらず、例へば彼れが敎育論に謂ふ個人各自の自由なる自然の開發と其の國家論に於いて個人の意思が多數の決議によりて發表さるゝ全體の意志に全く服從することを要すといへるとは思想上如何に相關係すべきものなるか、又彼れが吾人の社會が其の純樸なる自然の狀態より墮落したる次第を述ぶる所と後に其の民約論に於いて描ける所との間にも相和せざるが如く見ゆる點あり、例へば一に於いては財產所有の權が社會の凡べての罪惡の根元となり居るが如くに說き、他に於いては所有權を以て