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びては此の思想復活して種々の形に於いて唱へられ、尙ほ其の說の脈絡は延いて十七世紀に至れるを見る。さればルソーの民約說は思想の上よりいふ時は決して新らしきものにはあらねど彼れの天才に發揮せられて歐洲一般の思想界に大なる影響を與ふる衝動力とはなりたり。彼れ論じて曰はく、上述の如く國家は民人の契約によりて成れるものなるがゆゑに其の主權は人民の有する所なり、行政官は唯だ民が主權を以て定めたる所を實行する者に外ならずと。ルソーはロック及びモンテスキューと其の說を異にして國家の權力を分割せずして曰はく、立法權是れ即ち眞實に國家の主權なり、行政權は決して之れと相並立すべきものに非ずして寧ろ之れに隸屬すべきものなり、人民が自ら相約し首長を立てゝ之れを仰ぐは契約にはあらずして其の關係は寧ろ唯だ委任といふべきものなり、主權は何處までも人民の有する所にして決して人民の手より離るべきものにあらずと。此の點に於いては彼れはホッブスの正反對に立てると共に又代議政體を以て正當なるものとせざることに於いてロックと其の論を異にせり。彼れ曰はく、行政官が其の權を濫用せざらむが爲めには人民が常に自ら(代人にあらず)相集まりて會