Page:Onishihakushizenshu04.djvu/473

提供:Wikisource
このページは校正済みです

却つて之れを害ふ所以の道なり。啻だ人心自然の開發に任すべきのみならず各人皆其の特性を具ふるを以て、之れを敎育するや宜しく其の各自の特性に從ひて其の自然の開發を助け行かざるべからず、即ち强ひて一の模型に鑄入することを爲さずして各自の個性を破らざる樣に敎育せざるべからず。小兒の時代を見て唯だ大人となることの準備とのみ思ふべからず、小兒は小兒の時代に於いて其の開發し行く所其のものに殊特なる人生の趣味の存するあるなり。之れを要するに、敎育上の手段は唯だ小兒をして罪惡に染まず過誤に陷らざる樣に監督するに在るのみ、心身の發達そのものは自然に任せざるべからず。

《ルソーの理想とせる社會制度。》〔三七〕以上叙述せる所はルソーが其の著『エミル』に於いて彼れの自然主義に基づきたる理想的敎育法を述べたる趣意の大要なり。彼れは更に其の名著『民約論』に於いて彼れが理想とする社會的制度を描けり。以爲へらく、人類は其の自然の狀態に於いては個々獨立の者なるが故に此の社會は後に彼等が相互に結びたる契約を基礎として成れるものと考へざるべからず。蓋し此の民約說の端緖は已に希臘に於いてエピクーロスの說に現はれ中世紀の終はり近世に入るに及