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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/472

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を有するものたらしめ、延いて歐洲の思想界に大なる影響を與ふることとなれり。彼れ以爲へらく、天然のまゝなるものに一として宜しからざるものなし、唯だ人其の手を添へて之れを不良なるものとするのみ。吾人が敎育を施すに當たりて人爲的に種々の事柄を注入するは其の正當の途に非ず、人を敎育する宜しく其が自然の開發に任すべし。敎育の事は他の權力を以ても又啓蒙的敎訓を以ても外より强ひて壓迫し注入すべきものに非ず、寧ろ唯だ其が自然の開發に障礙となるべきものを除去し而して其の開發にかなへる境遇を與ふることに止めざるべからず。各人が自ら學得し自ら力を用ゐて得たるもの、換言すれば自己の天稟と實驗とによりて發見したるもののみ眞に其の者の所得となり得べし。一言に云へば、其が敎育上の眞正の發達は他より注入すべきものに非ずして自發すべきものなり(ライブニッツの謂はゆるモナドの自發するといふ思想と相比べよ)。各人の性格となりて開發する種子は凡べて天稟に具はるものなり、而して天然の性情及び衝動は其のおのづからに開發し活動し出づべき時機あるを以て敎育は之れに與ふるに其の時を以てせざるべからず、之れを誘ひ出ださむとすること早きに過ぐるは