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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/464

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ける朋友の惡意あらむことを疑ひて再び佛蘭西に遁れ歸れり。此の實に常人には在り得べからざるが如き猜忌心は善くルソーが性質の暗黑なる方面を示すと共に彼れが奇癖の人たることを現はすものなり。彼れは佛蘭西に歸りて後諸方を流浪しつゝありし中急病に罹りて遂に一千七百七十八年に死せり。

《ルソーが啓蒙思潮に反抗せる態度、其の道德宗敎觀。》〔三三〕ルソーはコンディヤックの感覺說に反對して思考する、比較する、及び判定する等の作用は感覺するといふことと相分かつべきものなりと見て以爲へらく、後者は所動的にして前者は能動的のものなり、吾人は我が直接の感情によりて我れの存在することを知り、また我れてふ者が自由なる思想及び意志の作用を有する者なることを知り、此のゆゑに又我が靈魂の物質ならざることを知る。而してかくの如く直接に我れの何たるかを知り又我れに接する外界の存在することをも知ると共に現世に於いては惡人も或は榮え善人も或は不幸なることあるによりて吾人は尙ほ來世に於いて生活するものなることを知ると。彼れは宗敎上に於いてはデイスト風の立場を取りき。以爲へらく、物質は自ら動き得るものに非ざるを以て之れに活動を與へ意匠に從ひて形づくりし者なかるべからずと。