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吾人の心生活の特殊なる方面として感情の價値に重きを置き、又文學に於いては感情に耽り之れを樂しむ一派の潮流を惹き起こしたるに於いてルソーの唱道與つて大に力ありき。彼れは自ら其の感情を顧みることを樂しみ其の『懺悔錄』("Confessions")に於いては誇るべきことと耻づべきこととを問はず自己の心裏の經驗を聊かも蔽ふ所なく描き出でたり。

一千七百六十ニ年ルソーは有名なる『民約論』("Du Contrat Social ou Principes du Droit Politique")を著はして現社會を改造する標準とすべき社會制度を描き、また同年に『エミル』("Émile ou sur l'Éducation")を著はして彼れが理想とする敎育法を描きたり。當時の社會は此の畸人をして安き生活を送らしめざりき。『エミル』は政府の命を以て燒かれ、又著者に對しては逮捕狀を發したり。是に於いてルソーは瑞西に逃れたれども彼れはこゝにてもまた安居することを得ざりき、かくて彼れは彼處此處に於いて或は政府に或は人民に窘迫せられ委さに辛酸を甞めたりしが、曾て巴里に於いて彼れと相會したることあるヒュームが此の時彼れを招きしを以て彼れは其の招きに應じて英國に渡りしが其處にて病に罹りしが爲めに英吉利に於