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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/462

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はアンシクロペディスト仲間の朋友等の了會し得ざる思想の欝勃たるものありき、かくて彼れは天然に往きて其の慰安を求め、質朴なる田野の生活に退きこゝに彼れが思想的生涯に全く新生面を開くこととなれり。彼れは文明社會の造り飾りたる儀式的なることに對して單純なる、質朴なる、粗野なるものを愛し、自然の狀態に於ける直接の感情に向かひて其の指導を求めたり。彼れはまた世の謂はゆる開けたる人々が眼下に見て齒するに足らずとしたる下等社會に對しても、其の知慮の上に於いては如何なる差等の存するにも拘らず相一致し得べき所のものあるを感じ彼等に向かひて深く同情せり、而して彼れが共通のものとして感じたる所是れ即ち人間が凡べて自然に有する直情なり、彼れは時として名狀すべからざる感情の溢れ來たることを覺えたりしが彼れは其の感情を現はすに適當なる言語を即座に發見し得る技倆を缺きたり。故に彼れは禮儀と好辯とを要したるサロンに於いては光彩を得放つべき性質の者にあらざりき。感情の哲學は彼れに於いて眞に適當なる唱道者を發見したりといふべきなり。彼れは感情其の物を知力と區別して吾人に取りて獨立なる指導者となしたり。心理學に於いては