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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/46

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有なる一種幽玄の趣を帶ぶる所あり。

《伊太利の自然哲學と其の特相。》〔七〕上に述べたるが如く新プラトーン學派の影響を受けて自然界を神智學的に觀る傾向が一は祕術風の思想に到り又一はベーメの神祕說に到りし傍に又伊太利の自然哲學と名づくるものに於いて更に優りたる意味にて自然界に關する哲學思想の發達せるを見ることを得。蓋し哲學が神學と分離して專ら自然界を考ふるものとなりしに因り、又新プラトーン學說の影響を受けしことに因りて茲に一元的なる、萬有神敎的なる、而して頗る想像的なる一種の自然哲學の成り出でたるは解し難きことにあらず、且つ自然界を活動する神と同一體なりと見て宇宙の美をたゝへたるは又大に古代文藝復興時代の美術的精神に適合せる者なりき。而して此くの如き思想はパトリッヅィ(Patrizzi 一五二九―一五九七)に於いて殆んど全く新プラトーン學派風の形に言ひ表はされたり。彼れよりも獨立なる思想を持して所謂伊太利の自然哲學を開發したる者はカルダーノー(Cardano 一五〇一―一五七六)、テレジオ(Telesio 一五〇八―一五八八)、ジョルダーノ、ブルーノ(Giordano Bruno 一五四八―一六〇〇)、カムパネルラ(Campanella 一五六八―一六