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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/459

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由あり、何となれば是れ恰も川を堰き止めて、溢れざらしめむとするに同じければなり、此の心を以てして始めて刑罰も亦有効なるものとなるべし。未來の生命といふこと是れ亦啻だ迷妄なるのみならず、吾人の現世に於ける生活上寧ろ有害なる信仰と云はざるべからず。道德を講ずるよりも寧ろ人々をして身體上健康なるものとならしむるが彼等を救ふ道なり、吾人の要する者は僧侶に非ずして寧ろ醫師なり。

《ルソーの生涯、性行、著述。》〔三一〕以上述べ來たれる所によりて當時の啓蒙的運動の主なる潮流が悉く『システーム、ド、ラ、ナテュール』の中に集收せられたるを看るべし、感覺論も此に在り、利益主義の道德說も此に在り、意志自由論も其の中に在り、唯物論も無神論も聊かも隱蔽せらるゝ所なく其の中に現はれ出でたり。而して啓蒙的潮勢が斯くの如き傾向を取りて進み行けるを見て茲に一大反抗の要を感じて起ちたる者は彼の


ヂャン、ヂャック、ルソー(Jean Jacques Rousseau 一七一二―一七七八)