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なり。彼れは啓蒙的思潮の單に理解力を以て進み行くに對して直接なる感情の要を說き啓蒙的運動を產み出だしたる文化に對しては純樸なる自然の狀態の美を說かむとしたるなり。文藝復興時代以後文化は駸々として進み來たりしが、ここに始めてルソーに於いて文化進步の果たして眞實に善なるものなるかを疑ふ聲は聞こえたり。文明問題は實に彼れによりて始めて明瞭に提出されたるなり。ルソーは一千七百十二年六月廿八日を以てジェネヷに生まれき。其の境遇と天資とは早くより彼れが現在を後ろにして種々の理想を某の心に描くことに耽る傾向を養ひたり。定まらざる靑年の歲月を送りたる後、巴里に來たり或は敎師として或は他人の書記として或は謄寫を業として漸く其の口を糊したり、而して彼れが文界に於ける生涯は其の著 "Discours sur les Sciences et les Arts"(一七五〇出版)を以て始まりぬ。此の書は其の出版の前年「學術及び技藝の復興が道德を高むることに與りて力ありきや否や」といふ題にて提出されたる懸賞論文に應ぜむとしたるものにして此の書によりて彼れの名は始めて世に知られたり。彼れの自ら言へる所に從へば、此の問題を考ふることによりて全く新らしき眼界が彼れの心中に開