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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/448

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《アンシクロペディスト。ダラムベールの懷疑說。》〔二六〕一切の學術及び技藝に關する新思想を一般の讀者に解し易からしめ啓蒙的潮流を集收して之れを當時の社會に奔流せしむることに與りて最も力ありしものはかの有名なる『アンシクロペディー』("Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des Sciences, des Arts et des Métiers.")即ち百科全書なり〈此の書は一千七百五十一年より一千七百七十二年までに二十八册を出版し一千七百七十六年及び其の翌年に拾遺五卷、一千七百八十年に "Table analytique" 二册を出版せり〉

此の百科全書を創設しまた編輯したるはダラムベール及びディデローにして、之れに助力したる者にはテュルゴー(Turgot)グリム(Grimm)ホルバッハ(Holbach)等あり、ヺルテール及びルソーも亦之れに筆を執りき。

ダラムベール(D'Alembert 一七一七―一七八三)は數學家にして哲學上懷疑說の立脚地に在りき。以爲へらく、物體及び心靈が其の性體に於いて如何なるものなるかは吾人の知り得ざる所なり。吾人が感官を以て其の存在を知覺すと思ふが如く果たして吾が心に對して何物か外界に存在するあるか、又若し在らば何物の存在するかは吾人の知識し得る所に非ずと。彼れは哲學上懷疑說の立場を守りたりしと共に道德說に於いても亦自利說の正當なるものなることを承認するに至ら