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ものなり。以上のラ、メトリーが生物論を見るも、又ロビネー及びボネー等の說く所を見るも如何にライブニッツ風の思想が攝取され變形されて當時の自然哲學に宿れるかを知るに足るべし。

《ラ、メトリーの道德說。》〔二五〕ラ、メトリーは其の著 "Histoire Naturelle de l'Âme" に於いてはロックより出立して吾人の有する一切の觀念の起原を吾人の感官に求めたり。以爲へらく、外物に接し他に交はることによりて吾人は我が心の內容を得るなり、若し一人をして他と交はらしめずして孤獨に生活せしめなば其の心や眞に幼稚なる狀態に止まり居らむと。斯く考ふることに於いてラ、メトリーはコンディヤックの感覺說の先驅者となりしと共に又利益主義の道德說に於いてエルヹシユスの爲めに其の途をなせるものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、吾人は唯だ身體を有するのみ、故に快樂といふも亦畢竟身體上のものに外ならず、唯だ其の中に强けれども霎時の間繼續して止むものと靜かなれども長く繼續するものとの區別ありて、前者を感官上の快樂と云ひ後者を精神上の快樂と名づくるに過ぎず。德行とは社