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の間に飛び越ゆることを要する缺陷なしと。
ボネーが所說の中尙ほ一點の注意に値するはロックが謂はゆる實在上の本質(essence réelle)と名稱上の本質(essence nominale)との區別を說き更へて前者を物其れ自身に於ける當體(chose en soi)とし後者を物の現はれてある樣(ce que la chose paraît être)となせる點なり。
《機械的說明を心理の方面に移さむとする氣運、ビュフォンの有機的分子說。》〔二一〕心的現象を觀るに之れを以て必ず生理上の變動に伴ふもの或は其の變動を以て條件となすものとする、是れおのづから心理を考ふる上に於いて機械說の方面に一步を進めむとしたるものなり。盖し英國聯想學派の所說に於いて吾人の見たるが如く生理的方面の本より機械的に考ふべきのみならず、心作用を以て必然腦分子の變動に應ずるものとせば(殊にボネーの言へるが如く各種の感覺にそれぞれに定まれる腦纖維ありとせば)心作用をも機械的作用に準へて考へむとするは、自然の結果なり。かくして自然科學界の氣運は機械的說明を心理の方面に移し來たらむとすると共に生理的方面其の物即ち一切の生活的現象を全く機械的に說明し得ることを明らかにせむと力むることに向かひ行けり。盖し