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新らしき感覺としては感ぜられずして曾て經驗したるものとして認めらる。習慣といふもの及び習慣の一種なる記憶と云ふものの成り立つ所以こゝに在り。腦纖維相互の間に聯絡の生ずる是れ即ち聯想の成るなり。

吾人が種々の感情を覺ゆるや腦に於いては必ず一定の纖維の變動あり、而してそれが意志の作用の伴ふ纖維の變動を機械的に起こし又其の變動よりして同じく機械的に筋肉の收縮を生じ來たる。此のゆゑに吾人の意志を以て行動する時にも生理的方面に於いては全く機械的作用の行はるゝなり、又心理上に於いても意志は必ず最も强き動機によりて決定さるゝものにして動機の如何にかゝはらずして能く何れをも選擇し得ること(aequilibrium arbitrii)なし。斯く意志は動機によりて決定さるゝものなればこそ敎育をも施すことを得また賞罸も其の功を奏するなれ。

《ボネーの生物說、ボネーの說とロックの說との關係。》〔二〇〕上に述べし精微なるエーテル質の細身を云ふ臆說はボネーが生物學上の推究と相關係せる所あり。彼れは說いて曰はく、一切の生物には本來種子ありて而して其の種子は一として亡ぶることなし、凡べての物は皆段階を成して其